居場所は分ける、接点はつくる。
長く愛されるコミュニティの「異文化交流」設計論
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先日、昔からの友人と
「長く愛されるチームやコミュニティってどういうものなんだろうね」
という話をしていました。
その会話のあと
私の中でずっと残っている問いがあります。
それは
同じテーマで集まったコミュニティでも
全員を“同じ箱”に入れてはいけないのではないか
ということです。
コミュニティを運営していると
つい「みんなで交流しよう」と考えたくなります。
せっかく同じテーマに関心を持って集まっているのだから
先輩も後輩も、経験者も初心者も
同じ場所でつながれたらいい。
そう思うのはとても自然なことです。
でも最近、私は少し違う感覚を持つようになりました。
良かれと思ってつくった交流が
誰かにとっては安心できない場になってしまうことがある。
つながりを増やすための場が
逆に誰かの心理的安全性を奪ってしまうことがある。
それはすごくもったいないことだと思うのです。
コミュニティを設計する時
私たちはつい「属性」で人を見てしまいます。
ワーママだから。
育休中だから。
復職者だから。
同じ趣味があるから。
同じテーマに関心があるから。
同じコミュニティに所属しているから。
たしかに属性は入口として分かりやすいです。
「同じワーママ同士なら話が合うはず」
「同じ子育て中なら分かり合えるはず」
「同じテーマが好きなら自然につながれるはず」
そう考えたくなります。
でも実際には
同じ属性であっても
その人が今いる人生のフェーズによって
見えている景色はまったく違います。
例えば、同じ「子育て中」でも
産休中の人、育休中の人、復職直後の人、
子どもが少し大きくなって仕事に再び比重を置き始めた人では
日々の時間感覚も、悩みの質も、求めている言葉も違います。
同じ「働く女性」でも
今まさに立ち止まって自分を見つめている人と
すでに次のステージに向かって走り出している人では
必要としている場が違います。
本当に見なければいけないのは
表面的な属性ではなく
その人が今、人生のどのフェーズにいるのか
なのだと思います。
フェーズが違うと
持っている「時間感覚」が変わります。
そして
求めている「余白」も変わります。
今まさに立ち止まっている人には
時間を気にせず
ただじっくり話を聞いてもらう余白が必要です。
まだ言葉にならない不安を
急かされずに話せること。
結論を出さなくても
そのまま受け止めてもらえること。
泣いてもいいし
まとまっていなくてもいいし
同じ話を何度してもいい。
そういう時間が必要な時期があります。
一方で
すでに走り出している人は
時間の使い方が変わります。
日々判断しなければいけないことがある。
仕事も家庭も回さなければいけない。
限られた時間の中で、できるだけ早く前に進みたい。
そうすると
どうしても「タイパ」の感覚が強くなります。
話を聞いているつもりでも、
つい解決策を出したくなる。
「それならこうしたらいいよ」
「私の時はこうだったよ」
「大丈夫、あとで振り返るとこう思えるよ」
そんなふうに
良かれと思ってアドバイスしてしまう。
でもセンシティブな時期にいる人にとっては
それが少ししんどいことがあります。
ほしいのは答えではなく
まずは自分の気持ちを置ける場所だからです。
もちろん
先輩が悪いわけではありません。
走り出している人には
走り出している人の時間感覚があります。
経験があるからこそ
見えることもある。
遠回りしなくていいように
傷つかなくていいように
少しでも役に立ちたいと思う。
それは優しさでもあります。
でもその優しさが
相手のフェーズと合っていない時
場の空気が少しずれてしまう。
まだ自分の気持ちを言葉にしている途中の人に
先回りして答えを渡してしまう。
まだ不安の中にいる人に
未来から見た正解を語ってしまう。
すると、本人は悪気がなくても
相手には「分かってもらえなかった」と残ってしまうことがあります。
ここにコミュニティ設計の難しさがあります。
同じテーマで集まっているからといって
同じ場所にいれば自然とうまくいくわけではない。
むしろ
人生のフェーズが違う人たちを無理に混ぜることで
大切な安心感が失われてしまうことがあるのです。
だから私は最近
コミュニティにおいて大切なのは、
居場所は分ける。
でも、接点はつくる。
という設計なのではないかと思っています。
日常の居場所は
時間感覚やフェーズの近い人同士で分ける。
今、立ち止まっている人には
立ち止まっている人同士で安心して話せる場を。
今、走り出している人には
走り出している人同士で前に進める場を。
復職直後の人には
復職直後のリアルを話せる場を。
少し先を歩いている人には
その人たちなりの悩みや挑戦を語れる場を。
それぞれのフェーズに合った居場所があることで
人は安心して自分の言葉を出せるようになります。
たとえば、育休中の人たちが集まるコミュニティなら。
日常の雑談部屋は
できるだけ近いフェーズの人同士で分けた方がいいのかもしれません。
産休中の人には
これから始まる生活への不安を話せる場所を。
育休中の人には
子どもとの時間や
自分の変化をゆっくり言葉にできる場所を。
復職直後の人には
仕事と家庭の両立に揺れるリアルを出せる場所を。
少し先を歩いている人には
次のキャリアや、自分の役割を考えられる場所を。
それぞれが
「今の自分のままで話していい」と思える居場所を持つ。
その上で
たとえば月に一度だけ
復職直後の人が少し先を歩く人の話を聞ける会をつくる。
あるいは
育休中の人と復職者が一緒に
何か小さなプロジェクトに挑戦してみる。
普段の居場所は分ける。
でも、希望する人が橋を渡れる機会は用意する。
このくらいの距離感が
実はちょうどいいのではないかと思うのです。
毎日同じ部屋にいなくてもいい。
でも、必要な時に
少し先の未来を見に行ける。
それがあるだけで
今いる場所の安心も
これから先への希望も
どちらも守れる気がします。
でも、完全に分断してしまうのも違います。
同じフェーズの人だけで固まり続けると
今度は視野が閉じてしまうことがあります。
少し先の未来を知ること。
違う立場の人の景色を聞くこと。
自分とは違う時間感覚の人と出会うこと。
それによって
自分の選択肢が広がることもあるからです。
だから必要なのは
常に混ざることではなく
必要な時に交われる「橋」をかけること。
私はそれを
コミュニティの中の「異文化交流」だと思っています。
たとえば
ちょっと先の未来を知るトーク会。
復職経験者に話を聞ける時間。
何かに挑戦するプロジェクト。
一緒にイベントをつくる機会。
テーマごとの壁打ち会。
同じ目的に向かって
フェーズの違う人たちが一時的に交わる場。
こういう場では
普段は違う居場所にいる人たちが
無理なく出会うことができます。
大事なのは
「いつも一緒にいなければいけない」にしないこと。
日常の安心は守りながら
希望する人だけが橋を渡れるようにすること。
そして、その橋を渡る時には
目的や役割を明確にすること。
ただ混ぜるのではなく
何のために出会うのかを設計する。
これが、長く続くコミュニティには必要なのだと思います。
コミュニティ運営をしていると
「みんなが仲良くなること」が良いことのように見えます。
もちろん、仲が良いことは素敵です。
でも、長く続くコミュニティに必要なのは
全員が同じ距離感で仲良くなることではありません。
近い距離で安心できる人がいること。
少し遠くから応援してくれる人がいること。
必要な時に相談できる先輩がいること。
自分とは違うフェーズの人の話を聞けること。
そして
無理に関わらなくても
そこにいていいと思えること。
そういう距離感の選択肢があることの方が
ずっと大切なのではないかと思います。
私は、強いチームやコミュニティほど
「みんな一緒」を強要しないと思っています。
同じ方向を向くことと
同じ場所に押し込めることは違います。
同じテーマを大切にすることと
同じ時間感覚で動くことは違います。
同じコミュニティにいることと
同じ関わり方をすることは違います。
人にはそれぞれ
今いるフェーズがあります。
必要な余白があります。
受け取りやすい言葉があります。
だからこそ
コミュニティをつくる人は
人をひとまとめにしすぎてはいけないのだと思います。
居場所は分ける。
接点はつくる。
日常の安心は守る。
でも、必要な時には橋を渡れるようにする。
その橋の上で
少し先の未来に出会ったり
自分とは違う景色を知ったり
新しい挑戦が生まれたりする。
私はそんなコミュニティが好きです。
そして、そんな場をつくることが
これからのコミュニティ運営における
プロデューサーの役割なのではないかと思っています。
人を無理に混ぜるのではなく
人が自分のタイミングで交われるようにする。
誰かの安心を守りながら
誰かの可能性が広がる接点をつくる。
それはきっと
人が自立していくコミュニティを育てるための
大切な設計なのだと思います。
あなたが今いる場所には
安心していられる居場所がありますか。
そして、
少し先の未来と出会える橋はありますか。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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今日もイイ記事だなぁー
チャレンジャーズはなおなおさんの思うコミュニティになりそうっすよ!✌️