直感の木 反骨精神も 私の美しさだった
直感と境界線を取り戻しに行く旅 その④
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ライブアートの後に残ったもの
ライブアートで私は思いきりはみ出しました。
墨が飛んだ。
周りを汚した。
でも、みんなが一緒に拭いてくれた。
あの時間は作品を描いたというより
自分の内側にあったものを身体ごと外に出したような時間でした。
出し切った後に残ったのは
疲労感だけではありませんでした。
どこか静かで
でも身体の奥がまだ熱を持っているような感覚。
あぁ、私はこんなものを持っていたんだ。
そう思わざるを得ないような
少し怖くて、でも確かに自分に近い感覚が残っていました。
その後に行ったのが自由制作でした。
自分の作品を 自分で読み解く
自由制作の後、私たちは
それぞれ自分の作品について発表することになりました。
ただ作品の説明をするのではなく
自分の絵を見ながらこんな問いに答えていく時間です。
①タイトルをつけるとしたら何か
②今回、私が私に認めてしまったものは何か
③宝物は何か
この
「私が私に認めてしまったもの」
という言葉が、すごく印象的でした。
認めたものではなく。
認めてしまったもの。
もう見ないふりができない。
もうなかったことにはできない。
そんなニュアンスがありました。
ライブアートで出てきたものを
今度はキャンバスの上にもう一度見にいくような時間。
私の中に何があったのか。
私は何を認めてしまったのか。
それを、自分の作品を通して言葉にしていきました。
タイトルは 直感の木
私が描いた作品のタイトルは
直感の木
にしました。
最初から木を描こうと思っていたわけではありません。
むしろ今回は今までの自分ならあまりしなかった描き方を
してみたいと思っていました。
暗い色を下に入れる。
その上に色を重ねていく。
黒に近い色。
深い色。
その上に赤や黄色や白やオレンジのような色を重ねていく。
これまでの私なら
たぶんもう少し綺麗なものを作ろうとしていたと思います。
見た目に美しいもの。
整っているもの。
分かりやすく「いいね」と言ってもらえるもの。
でもこの時は違いました。
綺麗なものを作ろうと思わなかった。
むしろ、綺麗にまとめようとしないものを作りたかった。
暗さもある。
濁りもある。
よく分からない色の重なりもある。
でも、そこに光の粒のようなものが散っている。
描き終わって眺めた時
なんとなくそれが木のように見えました。
きれいに整えられた木ではなく
暗い土の中に根を張って
いろんな色を抱えながら立っている木。
だからタイトルは
直感の木
にしました。
認めてしまったもの
この2日間で私が私に認めてしまったもの。
それは
狂気的な情熱
でした。
そしてその情熱はたぶん
反骨精神
から来ている。
そう認めざるを得ませんでした。
私は本当は平和でハッピーな人でいたいと思っていました。
できればいつも明るくいたい。
人を元気にしたい。
場を楽しくしたい。
みんなが安心できる空気を作りたい。
それは嘘ではありません。
でも私の中にあるエネルギーは
それだけではありませんでした。
悔しさ。
怒り。
誰にも負けたくない気持ち。
こんなことしたくないという反発。
私はここで終わりたくないという叫び。
そういう感情がたしかにありました。
正直そういう感情はあまり持ちたくありませんでした。
もっと綺麗な動機で動いていたかった。
もっと優しくて、穏やかで、まっすぐな人でいたかった。
でもライブアートで出てきたものも、
この「直感の木」に現れたものも、
そんな綺麗なものだけではありませんでした。
もっと荒くて、
もっと熱くて、
もっと剥き出しで、
もっと負けず嫌いなもの。
でもそれを見た時に思ったんです。
これは汚いものではないのかもしれない。
反骨精神も 私の美しさだった
私はこれまで反骨精神というものを
少し扱いにくいものだと思っていました。
誰かに反発する気持ち。
理不尽さに対する怒り。
「そんなの無理でしょ」と言われた時に湧いてくる
絶対にやってやるという感覚。
それは平和でハッピーな自分とは
少し遠いもののように感じていました。
でも、よく考えると
私が何かを生み出してきた時には
いつもこの感情がありました。
「できない」と言われたことを、できるに変えたい。
当たり前だと思われているものを、少しひっくり返したい。
誰かが諦めかけているものに、まだ道があると示したい。
その根っこには、きっと反骨精神がありました。
でもそれは誰かを壊すためのものではなかった。
美しいものを生み出すための力にもなる。
誰かの可能性をひらく力にもなる。
場を動かす力にもなる。
そう思えた時、私は少し楽になりました。
私はハッピーだけでできているわけじゃない。
悔しさもある。
怒りもある。
負けたくない気持ちもある。
でもその全部があるから、私は動ける。
直感の木は、そんな私を静かに立たせてくれたような気がしました。
宝物は 私が私でいること
最後に聞かれた問いは
宝物は何か
でした。
普通なら私は
「仲間」と言ったと思います。
実際この2日間、私はたくさん支えてもらいました。
言葉をもらった。
見守ってもらった。
墨が飛んだ時も一緒に拭いてもらった。
私が私を出した時に、受け止めてもらった。
だから仲間は間違いなく宝物です。
でもこの時の私は
あえて違う言葉を選びました。
私が私でいること。
この2日間で私はそう思えました。
私は出してよかった。
私ははみ出してよかった。
私は綺麗な感情だけでできていなくてもよかった。
平和でハッピーな私もいる。
でも、悔しさで動く私もいる。
負けたくなくて立ち上がる私もいる。
理不尽さに反応して、何かを変えたくなる私もいる。
その全部を含めて、私だった。
そしてその私でいること自体が
宝物なのかもしれない。
そう思えたことが
この自由制作で一番大きな受け取りだった気がします。
直感は 綺麗なものだけでできていない
直感という言葉を聞くと
もっと軽やかで、澄んでいて、美しいものを想像していました。
でも今回、私が見つけた直感は
そんな綺麗なものだけではありませんでした。
暗い色の上に、色を重ねる。
濁りの中に、光が散る。
説明しきれない感情の中に、立ち上がってくるものがある。
それが、私の直感だったのだと思います。
直感はいつも優しい顔をしているわけではない。
時には、怒りの中にある。
悔しさの中にある。
違和感の中にある。
「このままでは終われない」という感覚の中にある。
でもそれをちゃんと受け取れた時、
それは人を傷つける力ではなく
何かを生み出す力に変えられる。
この「直感の木」は、
そのことを私に教えてくれた作品でした。
ここからの私の表現
この2日間で
私は少しだけ分かった気がします。
私はただ優しいだけの人ではない。
ただ明るいだけの人でもない。
ただ人を応援するだけの人でもない。
私は違和感を見つける。
理不尽さに反応する。
「できない」と言われると
どうにかできる道を探したくなる。
人の中に眠っているものを見つけて、動かしたくなる。
それは、きっと私の反骨精神です。
でも、その反骨精神は、
誰かを否定するためではなく、
新しいものを生み出すために使いたい。
綺麗に整ったものだけではなく
自分の中にある熱や荒さや悔しさも
ちゃんと表現に変えていきたい。
ライブアートでは
私は身体ごと出しました。
自由制作では、その奥にあるものを
「直感の木」として見ました。
次はきっと
それを日常の中でどう使っていくか。
仕事で。
発信で。
コミュニティで。
人との関係性の中で。
私は、私の中にある反骨精神を
もう見ないふりしない。
それは、私を壊すものではなく
私を立たせてくれる根っこなのだと思うから。
直感の木は
暗さも、熱も、悔しさも、光も抱えたまま、
そこに静かに立っていました。
そして私はその木を見ながら思いました。
私はハッピーだけでできているわけじゃない。
悔しさもある。
怒りもある。
負けたくない気持ちもある。
でもその全部があるから、私は動ける。
そして、その全部があるから
私は私でいられるのだと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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