境界線を引くことは、相手を信じることだった
柏手のエピソードから考えた、やさしさとおせっかいの境界線
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人との距離感がずっと難しかった
人との距離感って、難しい。
近づきたい気持ちもある。
力になりたい気持ちもある。
困っている人がいたら、つい手を差し伸べたくなる。
でもその一方で、気づいたら自分の中に相手の感情が入り込みすぎていたり
本当は自分がやらなくてもいいことまで抱え込んでいたりする。
最近思うのは
境界線を引くことは
相手を遠ざけることではなく
むしろ
相手の力を信じることなのかもしれない
ということです。
最近の私は、「境界線」という言葉をよく考えています。
ここからここまでは私。
ここから先は相手。
その線を引くことは
頭ではわかっていても、案外難しい。
特に私は、人の気持ちや場の空気を察しやすいところがあります。
相手が何を求めているのか。
今、何に困っているのか。
何を言われたら安心するのか。
そういうものを感じ取ってしまう分、つい入り込みすぎてしまう。
相手のためにやっているはずなのに
なぜか自分の中に疲れが溜まっていく。
本当は言えばいいのに、言えない。
本当はそこまでやらなくていいのに、やってしまう。
本当は違和感があるのに、笑って流してしまう。
そうやって少しずつ、自分の中に小さな無理が積もっていく。
咲紀さんが教えてくれた、柏手という区切り方
そんな中で、先日咲紀さんとお話しした時に
とても印象に残った話がありました。
それが「柏手」の話です。
咲紀さんは、声やお芝居で表現をされている方です。
役を演じる時、自分の中にその役が入ってくるような感覚があるそうです。
その役になりきる。
その人として話す。
その人の感情を自分の中に通す。
でも、演じ終わったあとに
そのまま役が自分の中に残ってしまうことがある。
だから、終わったあとに手を叩く。
パン、と柏手を打つ。
そして心の中で
「ありがとう」
「楽しかったね」
「また遊ぼうね」
と伝えて、その役とお別れする。
その話を聞いた時、私はすごくハッとしました。
これはお芝居の話だけではないなと思ったのです。
境界線がないやさしさは、いつか苦しくなる
私たちも日常の中で、いろんな役を演じています。
仕事をしている自分。
母としての自分。
コミュニティを運営している自分。
誰かの相談を聞く自分。
場を明るくしようとする自分。
弱音を吐かずに頑張ろうとする自分。
どれも嘘ではない。
全部、自分の一部です。
でも、その役割が終わったあとに
ちゃんと自分に戻る時間を取れているだろうか。
仕事の空気を家まで持ち帰っていないか。
誰かの不安を自分の中に抱え続けていないか。
コミュニティの課題を、全部自分の責任のように感じていないか。
子どもに向き合う時も、つい先回りして失敗を奪っていないか。
境界線を引くというのは
相手を突き放すことではない。
むしろ
相手とちゃんと向き合い続けるために必要なことなのだと思います。
境界線がないまま関わると
最初はやさしさのように見えるかもしれない。
でも、だんだん苦しくなる。
勝手に期待して、勝手に疲れて、勝手に傷ついてしまう。
そして最後には
「もう無理」となって、関係ごと切ってしまいたくなる。
本当は、そうなる前に線を引けたらいい。
ここまではできる。
ここから先はできない。
ここまでは一緒に考える。
でも、決めるのはあなた。
ここまでは寄り添う。
でも、背負うのは私ではない。
そう伝えることは、冷たいことではない。
むしろその人の課題を
その人の手元に返すことでもある。
傷つく権利まで奪わない
咲紀さんが話してくれたお子様とのエピソードの中に
スクールカウンセラーさんから言われた言葉がありました。
「傷つく権利まで奪わないでください」
「失敗する権利まで奪わないでください」
この言葉を聞いた時、私はすごくハッとしました。
相手を大切に思うからこそ
つい助けたくなる。
先回りしたくなる。
失敗しないように守りたくなる。
でも、その人が自分で考えて
自分で選んで
自分で傷ついて
自分で立ち上がる経験まで奪ってしまったら
それは本当にやさしさなのだろうか。
私が今、大切にしたいと思っているのは
ただ答えを渡すことではありません。
その人自身が考えて
一歩踏み出せるきっかけをつくること。
だとしたら、なおさら境界線は必要です。
私が全部やってしまったら
その人の挑戦にならない。
私が全部抱えてしまったら
その人が自分で選ぶ機会を奪ってしまう。
よかれと思って手を出しすぎることは
時に、その人の力を信じていないことにもなる。
これは、子育ても同じだと思います。
コミュニティ運営も同じ。
誰かの相談に乗る時も同じ。
相手が迷っている時
つい答えを言いたくなる。
相手が失敗しそうな時
つい先回りして止めたくなる。
相手が傷つきそうな時
つい守ってあげたくなる。
でも、その経験の中にしか
その人が受け取れないものもある。
失敗したからわかること。
傷ついたから気づくこと。
自分で決めたから、次に進めること。
そこまで奪わない。
相手の課題を相手に返し、自分は自分に戻る
そう考えると、境界線を引くことは
自分を守るためだけではないのだと思います。
相手が自分で選ぶ力を信じること。
相手が失敗しても立ち上がる力を信じること。
相手が自分の課題に向き合えると信じること。
境界線を引くことは
相手を信じることでもある。
そして同時に
自分を信じることでもある。
私はここまでで大丈夫。
私は全部を背負わなくても大丈夫。
私は私の場所に立っていていい。
咲紀さんが話してくれた柏手のように
私もこれから、自分なりの切り替えの儀式を持ちたいと思いました。
たとえば、打ち合わせの前に一度手を叩く。
「今からこの場に入る」と意識する。
誰かの相談を聞いたあとに、もう一度手を叩く。
「ここでこの時間は終わり」と区切る。
子どもと話し合ったあとに
「ここまでで終わりね」と一緒に手を叩く。
怒りや不安やモヤモヤを
そのままずるずる引きずらないために。
相手の課題を
相手の手元に返すために。
そして、自分に戻ってくるために。
パン、と手を叩く。
たったそれだけのことかもしれないけれど
その一瞬で、空気が変わることがある。
ここからここまでは仕事。
ここからここまでは家庭。
ここからここまでは相手の課題。
ここからここまでは私の領域。
目に見えない線だからこそ
身体を使って区切る。
言葉だけではなく
動作で自分に知らせる。
「もうここで終わり」
「私は私に戻る」
「あなたの課題は、あなたに返す」
そういう小さな儀式を持つことは
忙しく動き続ける人ほど必要なのかもしれません。
私は、やりたいことがあると
つい夢中になって走り続けてしまいます。
楽しいからこそ止まれない。
好きだからこそ頑張れてしまう。
誰かの力になりたいと思うほど
つい自分の境界線を後回しにしてしまう。
でも、これからは
頑張ることと同じくらい
戻ってくることを大切にしたい。
人と関わる。
場をつくる。
誰かの挑戦を応援する。
そのためにも
自分の輪郭をちゃんと持っていたい。
境界線を引くことは
自分を守るためだけではありません。
相手が自分で選び
自分で失敗し
自分で立ち上がる力を信じること。
だから私は今日も
パン、と手を叩いて
相手の課題を相手に返し
自分は自分に戻る練習をしていきたいと思います。
ちなみに、先日の咲紀さんとのライブはこちら。
素敵な声を聞いてください😊
最後までお読みいただきありがとうございました。
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失敗がダメとか失敗させないのではなく、失敗して立ち上がれない時に手を差し伸べる、そして背中を押してあげるのが優しさだと思ってますฅ⸝꙳.⋆失敗の先にある経験はチャレンジした人にしか得られない貴重な時間ですよね∧⑅∧